2010年10月31日日曜日

19世紀ギター ラプレヴォット ネックとボディの接着





特注サイズ モダン・タイプと
19世紀ギター ラプレヴォット・タイプの
裏板を接着しました 動画UP
響板接着後のタッピング反応動画
接着前の裏板タッピング反応動画



裏板接着後のタッピング反応
動画をUPしました
どちらもほぼ狙いどうりの
反応を得ることができました
ラプレヴォット・タイプはネックの接着後
もう一度UPします  オマケ おまけ



19世紀ギター ラプレヴォット・タイプの
ネックとボディを膠で接着しました
接着の様子(動画
接着後のタッピング音(動画


2010年10月25日月曜日

フィガロ ギター・フェスティバル そして蝉の抜け殻


24日、滋賀県での
フィガロ ギター・フェスティバルに
楽器の出展で参加してきました

こちらは私のコーナー
中央の新作ラプレヴォット・タイプ
ギタリストの
西垣正信氏も試奏して下さったのですが
氏は、私がこの楽器で試みようとしていることを

即座に見抜いてしまわれたのです
これには驚くとともに、氏の洞察力の深さに
感服してしまいました
19世紀オリジナルのラプレヴォットは
反応に融通が利かないところがあり

道具として使い方が限定され気味なのです
これを、少しでも巾広い使い方
できるようにならないものか
様々試しているところなのですが
昨年くらいから何となく手応えがあり

今回のこの楽器でもその点が解決されている
のではないか思っていたのです
そこのところを西垣氏はズバリと指摘されたのです
これにはドキリとしました
そして楽器という道具を作る職人として
なにか、とても嬉しかったのです



そして、もう一つの嬉しかったこと

これはセミですね・・・
しかも石鹸なのです
楽器の展示をされた矢敷ギター工房の
古井豊氏の奥様から
手土産として頂いた手作り石鹸です
蝉にしては目の位置が少し変ですが
東南アジアには

このようなセミもいるのです


それからこれは岡山県から


遠路お越しくださったK様から
これも手土産として頂いたものです
なんとこれもご自身の手作り作品なのです

体長約2cm
これは本物の蝉の抜け殻から
型を取って鋳造したものだそうです
それにしてもよく出来ている・・
素材は真鍮(しんちゅう)だということですが
それが経年で適度に錆ていて
なんともいい質感になっています



抜け殻から型を取ったとはいえ
足先の細かく鋭いところまで
再現されているのには驚きます




本物の抜け殻と比較
画像右が本物の抜け殻
おそらくニーニーゼミでしょう
大きさといい、形状といいソックリです


HPの蝉コーナーにも
UPさせてもらいました


最後にこれはギタリストの松田晃明氏が
持って来て下さったものでアケビです
昨年も頂きましたが
今年のものはほど良い甘さで風味がよく
秋の味わいを満喫させてもらいました
最後になりましたが
フィガロ ギター・フェスティバルの
スタッフの方々に
この場にて御礼申し上げます

2010年10月23日土曜日

特注ギター製作その9 ネックと横板の接続 

特注サイズ モダン・タイプの
ネックと横板を接合しました








こちらは19世紀ギター
ラプレヴォット・タイプの横板を
接着した状態  
動画UP


2010年10月21日木曜日

猿田彦とニギハヤヒ

弥生時代の始まりを紀元前1000年説を採ると、
この頃ニギハヤヒ族が日本にやってきた可能性が
あるような気がします。世界史ではこの頃バビロンの覇権が
イシンからアッシリアに移り、これに対抗してカルデア人
(アラビア海の海人)がイシンの王族を中国に亡命させ
萁子朝鮮をたてています。それに伴い近辺では様々な
軋轢があったことが想像されますが、当然その流れが
日本列島に及んだ可能性もあるものと思われます。

紀元前700年頃には九州の国東半島で製鉄遺跡が
発見されているので、これはニギハヤヒ族がやって来ている
可能性大です。そのおよそ600年後、紀元前100年頃に
銅鐸文化が始まったとされています。
北海道と沖縄を除き、全国的に分布している弥生時代の
遺跡の中で、銅鐸、銅剣、銅矛などを持った青銅器文化
というものは九州から近畿に集中しているのが特徴的です。
ですから弥生時代の始まりは製鉄技術を持ったニギハヤヒ族が
日本列島に入ってきたのを嚆矢とし、その後西日本に
青銅器文化を持った猿田彦族が入ってきたという
図式を描くことができそうです。
ついでに述べておきますと、天日槍は3世紀から4世紀にかけて
日本にやってきたものと思われます。このときには、朝鮮半島の
当時の最先端の鉄加工技術や、それまで日本にはなかった
高温で焼く須恵器を作る技術を持って来たとされています。