2009年12月20日日曜日

クリスマス・コンサート

兵庫県伊丹市の喫茶店で
クリスマス・コンサートを企画して頂きました
喫茶店の名は、まさに関西!と言える
「しゃべりば」
平仮名で書き表すところに
オーナーのこだわりを感じます

主役はフルート奏者の大和賛(あきら)さん
芳醇で大らかな賛さんのフルートの音色はたいへん魅力的です
熱心に耳を傾けてくれるお客様のおかげで
充実した時間が流れていました

拙作の楽器 を紹介するコーナーも設けさせてもらいました
こうして、一般の方々にギターのことを
知ってもらうことは、とても大切なことだと思うので
地道ではありますが機会があるごとに
続けさせてもらっています

7年ほど前に、こういうことはもうやめにして
これからは製作に専念しようと決心したのですが
声がかかると、ついOKしてしまうのです・・

今回企画して下さったのは
伊丹在住の福崎さん御夫妻
福崎さんとは平成元年に私が関西に
越してきた頃からの付き合いですが
地元の伊丹市で、個人による
コンサートの企画を年に数回行われていて
「午後のリラックス・コンサート」と題して
これまで25年間続けてこられているのです
これには全く頭が下がります

2009年12月18日金曜日

古代の製鉄 その8

古来から、千種鉄ちくさてつという優れた鉄を産することで有名な播磨国(兵庫県西部)の千種地方では、製鉄の神である金屋子神かなやごのかみと、鍛冶の神である天目一箇神あまのまひとつのかみが祀られています(参照)。
ここで興味深いのは、金屋子神は神社に祀られているのに対して、天目一箇神は主に鍛冶職人の仕事場に祀られているということです。古語拾遺では、天目一箇神(又は命)は天地開闢かいびゃく後間もなく天太玉命あまのふとたまのみことに率いられてきた筑紫(福岡県)と伊勢(三重県)の忌部いむべの祖とされています。ということは天太玉命に従って日本列島に渡ってきた人物ということになります。そして、天太玉命の命令により種々の刀や斧、それから鉄製の鐸サナキを作っています。
また、古語拾遺では後の時代(崇神天皇の世)に天目一箇神の子孫に三種の神器の一つである天叢雲剣あまのむらくものつるぎの複製を作らせたとありますが、先にリンクをさせてもらったサイトでは天地開闢後に天太玉命に従ってきたということも、天叢雲剣の複製のことも記述されていません。何故でしょうか・・。
それはさておいて、では天目一箇命が従ってきた天太玉命はどこから日本に渡ってきたのかということですが、このことについては佐藤矩康氏による説が有力と思われます。

五鈴鏡


2009年12月11日金曜日

彦根城博物館所蔵の琵琶

平曲語りの
鈴木まどかさんから
彦根城博物館で、所蔵の
琵琶の展示が
行われているとの
知らせを受け
早速足を運びました
来春に平家琵琶
製作するので
その参考のためにもぜひ見ておきたかったのです

滋賀県には何度も
足を運んでいますが
彦根城は初めてです
幕末、安政の大獄の後、
江戸城桜田門外で
暗殺された井伊直弼は
ここ彦根藩の
十三代藩主だった
ということです

広い城内の一角に
博物館が建てられています

博物館入口の大きな
掲示板に雨に打たれて
散ったモミジの葉が
付いていました
最初見たときには
こういうデザインなのか
思ったほどです・・

今回の展示では
所蔵の琵琶29面のうち
楽琵琶と平家琵琶
合せて9面
中国琵琶が1面
展示されていました
琵琶についての解説は
鈴木まどかさんのブログを参照ください


私が重点的に見たのは
各琵琶の覆手の位置と
その肉付けの具合です

琵琶の他に、芸術に
多大な尽力をした
井伊家代々のコレクションも展示されていました
これは刀のコーナー 三振りだけでしたが
日本の代表的な
名刀ですから
ワタクシメでも一目で
時代と作者は判りました
中央は新刀(江戸時代初期)の肥前・忠吉(ただよし)
両側は鎌倉時代中頃
(古刀)の備前・一文字(いちもんじ)
右は鎌倉時代には

あり得ない姿ですが
大磨り上げが為されています
(以前より短くなっている)

2009年12月10日木曜日

驚異の霊芝

デ、デカイ!
とにかくデカイ!

こうして空に聳えさすに値する存在感!
見るだけで元気が出てきます!
全長30cm!傘の直径は31cm!
デカイ!




サルノコシカケ科の霊芝(れいし)
中でもこれは珍品中の珍品と言われる
黒霊芝さまであります
カエデの木の根に付くということですが
これだけ大きな霊芝が付いていた木も
かなりの大木であったでしょう

このお方は、他の霊芝のように栽培が
できないのだそうです
これを煎じた薬は、古代中国では
皇帝しか飲めなかったということです





これは、とある旧家に保管されていたもので
かなり古そうであります
茎の付け根のところに釘が見えます





霊芝が取り込んだものか
誰かが刺したものかは不明




この釘もかなり古そうですね
断面が四角いので和釘と思われます
そうすると、明治時代以前のものか・・
参照

2009年12月7日月曜日

古代の製鉄 その7

古来から製鉄あるいは鍛冶を行う人々が信仰の対象としてきた神に、前回紹介した兵主神(ひょうずのかみ)の他に天目一箇神(あまのまひとつのかみ)」と「金屋子神(かなやごのかみ)」があります。古来から優れた砂鉄が採れることで有名な、播磨西部(兵庫県)千種(ちくさ)地方では、金屋子神は「カナイゴサン」と呼んでいたそうです。これは、古来から朱の原料である朱砂が採れる地域にある丹生(にう)神社を、播磨地方では「タンジョウサン」と親しみを持って呼んでいるのと同様の呼称だと思われるのですが、それだけ地元の人たちにとっては身近なものだったことが想像されるのです。因みに、朱砂は赤色の顔料として縄文時代から使われていいる朱、そして鍍金に欠かせない水銀の原料でもあるので、古来から重要な鉱物資源でありました。
そういうことですから、丹生神社は全国各地に存在し、
150カ所以上はあると云われています。丹生の「丹」も赤いという意味があります。丹生神社の代表的なものとしては紀伊国(和歌山県)丹生都比売神社が挙げられますが、比売という字が付くくらいですから、もちろん祭神は女神である丹生都比売(にうづひめ)であります。ここのところに私は大変興味を惹かれます。話をちょっと戻しますが、古代の朱砂産地として記録されているものとしては、古いところでは続日本紀に、近江国(おうみのくに・滋賀県)に金青を献上させたこと、また伊勢国(三重県)には朱砂と雄黄(硫化砒素)を、常陸(ひたち・茨城県)・備前(岡山県)・伊予(愛媛県)・日向(ひゅうが・宮崎県)は朱砂、安芸(あき・広島県)・長門(ながと・山口県)には金青と緑青を、豊後国(ぶんご・大分県)には真朱を献上させたということが記録されています。
参照:このサイト内で「朱」で検索してください。