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2016年12月12日月曜日

不思議な符号 青森 善知鳥神社と猿田彦

昨日の続き(参照
猿田彦命といえば、銅鐸と深い関係があります
銅鐸は青森県ではまだ出土していませんが
その青森県と猿田彦はどういう関係だったのでしょうか・・

話がちょっと脱線しますが
この画像の左側の銅鐸に施された流水紋は
隼人紋にも似ています
隼人紋については以前HPで
述べたことがありますので
参照(九段目)下さい

これは兵庫県神戸市から
出土しているものですが
同様の流水紋が見られます

そしてこの流水紋は
この古代ギリシャの壺

これはアフリカ大陸から出土した土器


上の2点は古代ヨーロッパの出土品

これは紀元前1400年頃とされる
ギリシャ・クレタ島の遺跡
ここにも隼人紋と同様の
文様が描かれています
こういったことから、猿田彦命とされる
サルタヒコは隼人族の長だったことも
考えられるのですが
先にリンクしたHPでも紹介しているように
サルタヒコはカルデア人であるという説が
浮上してくるのも
無理からぬことのようにも思えるのです

これはHPでも紹介している
北海道から出土している
縄文時代の土偶ですが
これにも隼人紋と同じものが見られます
ということは、海を隔ててはいますが
そのすぐ南の青森県にも
同様の文化があったとしても
不思議ではないのでは
と、無理に青森県とサルタヒコを
繋ごうとしているのですが
(青森県にある有名な縄文時代の巨大遺跡
三内丸山遺跡から出土している
土偶や土器などには
現在のところ確認されていないようです)
これはまったく無理なことではなく
根拠は充分にあるのです

時代は弥生時代(前期)になりますが
青森県には砂沢遺跡という
水田耕作跡が発見されている
遺跡があるのです
リンクしたページでも説明されているように
不思議なことにこの水田跡は
「弥生時代の水田としては
東日本ではもっと古く
世界史的に見ても
最も北に位置する水田跡」なのです
しかもこの遺跡から出土している土器は
遠賀川式土器なのですね
これには驚かされます
遠賀川式土器と水田耕作は
セットになっているので
青森県の砂沢遺跡はその
典型的な例と言えます
時代は弥生時代前期
(新・時代区分では紀元前8世紀頃)
また弥生時代に出現した銅鐸は
水田耕作とは深い関係があるので
当然、サルタヒコとも繋がっているのです

サルタヒコの第二の本拠地とも言える
滋賀県高島市に鎮座する
水尾(みお)神社で発見された
「水尾(みずのお)大明神本土記」には
「時に天レイ暦五十七穂歳サナエ
苗月サナエの日なり」
と記されていて
それを紹介している松重楊江氏は
「サナエの日」とは銅鐸を鳴らす日の
ことであろうと推察しています

川崎真治氏の説によると
サルタヒコのサルは「米」のことで
タは文字どおり「田」のこととしています
つまり、サルタは
稲田ということになるのです
米のことをシャリと言ったりしますが、
これは元々は、米のことを
ウル語やシュメール語では「シェ」
バビロニア語や古代インド語では「シャ」と
言っていたことに由来するということです
私が今住んでいる丹波篠山は
銅鐸文化圏と思われますが
この地では田植えが終わると
「サナブリ」という祭りが行われます
亀山古墳がある志免の地では
「サナボリ」と言います

以下は棟方志功の装丁による
英語版 能・善知鳥の台本の挿絵入翻訳本




これが戦後間もない
昭和22年に刊行されたことに
驚いてしまいます

これはさらに古く
昭和5年に子供向けの読本として発行された
新訳・平家物語読本 著者:佐藤一英
来年、平家琵琶を製作するので
平家物語を復習中・・

挿絵の作者は記載されていませんが
この絵の鳥が棟方志功風なのが興味深い

2020年4月21日火曜日

古墳出土剣の柄頭 そして朴の実

これは兵庫県姫路市にある
出土している剣ですが
(時代は5世紀)

柄頭を見て、おや
と思ってしまいました

これは古代ペルシャ
現在のイラン
ルリスタン州から
出土している剣の柄部分
これに似ているのです
時代は紀元前3000年頃


これは古代エジプトの
ガラス工芸品
 これにも似ている

これは日本の木
朴(ホオ)の木の実
これにも似ている

枯れた状態

これは古代メソポタミアの
レリーフですが
朴の実にも似ている
この実は何でしょうか




そして古代エジプトの
壁面にも


謎が謎を呼ぶ・・

また、この柄頭の
周囲に銀で象嵌されている
文様は隼人紋のように
見えます

これは広島の迫山古墳
から出土している
隼人紋が象嵌されている
鍔の側部分


また、これはここ
丹波篠山の隣
三田sanda市藍本の
出土している剣の鍔
この文様も隼人紋

同様の鍔が
ここ丹波篠山市の
沢の浦古墳からも
出土しているのです

この隼人紋も
兵庫県三田市にある
東仲古墳から出土した
剣の刀装具

隼人紋

2010年10月14日木曜日

隼人紋と猿田彦

下の写真は、ベトナム ドンソン文化(紀元前300~紀元100)の遺跡から出土したとされる青銅製の鐘です。高さは11cmほどで、以前紹介した滋賀県出土の小型銅鐸のレプリカ(参照)とほぼ同じ大きさです。ドンソン文化の青銅技術を持った民族が
日本に入ってきて、弥生時代の銅鐸を作ったのではないかという説がありますが、この鐘は銅鐸のルーツと言えるものなのかもしれません。
興味深いのは、この鐘に鋳込まれている文様ですが、これは隼人紋と同じなのです。隼人紋はHPで紹介(参照:九段目)しているように、縄文時代から見られるので、その頃から隼人系民族が日本にやって来ていたということになりますが、紹介した青銅製の鐘が事実ドンソン文化のものだとすれば、サルタヒコも隼人族と関係があるということになます。
古代筑紫国(福岡県)は猿田国と呼ばれていたという説もありますが、それ以前には九州全体が猿田国だったという説もあります。
先日紹介した鹿児島県霧島市の高千穂峰山頂に刺されている「天の逆鉾」にサルタヒコと思しき顔が付いているのは、その説を裏付けるものなのかもしれません。
そして高千穂峰の西に位置する阿多隼人の地こそ、最初に
サルタヒコが九州に基地を構えた所なのではないでしょうか(参照





2016年8月13日土曜日

鴨稲荷山古墳と双魚紋

いま滋賀県にある
綣(ヘソ)と鈎(マガリ)
という地名について
調べているのですが
その副産物とも言えるものを
覚書としてUPしておきます
上の報告書は
大正12年(1923年)に
発行されたものが
昭和51年(1976年)に
復刻されたものです

旧・水尾村は
サルタヒコに関係の深い
滋賀県高島市にあり
現在は高島市高島町鴨という
地名になっています


鴨稲荷山古墳から出土した
双魚紋の佩Hai
双魚紋については
以前ブログで
何度か述べていますので


これは滋賀県の三上山
(近江富士とも
呼ばれている山)
付近の古墳から
出土している魚紋の鏡
「着銀製魚」というのは
銀で象嵌しているので
しょうか・・
魚の形に色が付いているのは
魚の形が分かり易いように
こちらで画像処理したもの

これは福島県南相馬市
鹿島区寺内・小池地域にある
真野古墳から出土している
双魚紋の佩

その復元品
滋賀県と福島県の古墳から
同じようなものが
出土していることに
興味を覚えます

これは鹿島曻(のぼる)著
桓檀古記からの引用ですが
契丹では黄金の双魚は
皇帝の権力のシンボルで
戦争の動員のための
符牒として使われた
とする説を紹介しています



これは平安時代後期に
書かれた大鏡の
魚袋gyotaiについての
記述の解説図

双魚紋が見られる

ここで書かれている
石帯sekitaiと魚袋が
現在の雛人形にも
付けられているのは
知らなかった

これは水尾村の鴨古墳から
出土した
沓(履・Kutsu)の図
魚形の飾りが
付けられています


これは奈良県の
藤ノ木古墳から
出土した沓(履)の復元品
水尾村出土のものと同様の
魚形の飾りが付けられている

そしてこれは朝鮮半島の
古代新羅(韓国・慶州)の
遺跡、天馬塚から
出土している銙帯Katai
に付けられている魚形の飾り

金冠と銙帯の全体の様子

杏葉Gyoyoと呼ばれる
装飾用馬具

これも馬具の飾りで
説明では蝶形と
されていますが
これはどう見ても
鹿と思われスキタイ風の
雰囲気があります

そして金製の指輪

新羅から出土している
指輪と同様のものが
福岡県の沖ノ島からも
出土しているのが興味深い
これは新羅製とされている

杏葉も出土していて
これも新羅製とされている

以上のことを少し考察すると
古墳時代は新羅系の
民族によって
日本列島は支配されていた
ということに
なりそうですね・・

魚紋は世界各地で
見られますが
双魚紋はペルシャ、インド、
そして東アジアで
散見されます
ついでにちょっと
調べてみたら
このようなものが見つかった
隼人紋のような流水紋は
日本の銅鐸にも見られるのが
興味深い(参照


ヨーロッパでは双魚紋は
見られないようですが
人魚の尾が双になっている
ものはあります
由来が知りたいところ・・
星座の魚座には
双魚宮というのが
ありますが・・
それからギリシャ神話にも
登場するらしい