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2023年11月2日木曜日

挟軾完成 そして職人絵

平安時代の挟軾
kyoshoku
出来上がりました

こちらは江戸時代初期に
描かれた職人絵
番匠(現在の大工)


台鉋も描かれている
右端は罫引(ケビキ)で
左は鑿(ノミ)だろうか



こちらも江戸時代初期に
描かれた職人絵、鍛冶師
絵師は岩佐又兵衛

岩佐又兵衛の息子
勝重が描いたもの


そして岩佐又兵衛が描いた琵琶
柱 ji が三つしかない・・
かなり適当ですね

2023年5月27日土曜日

ニス塗りにかかる そして職人絵


製作中のギター
ニス塗りに取りかかる
最初に響板にセラックニスを
塗っていく

特注19世紀ギター
弦長630mm

弦長650mm


江戸時代初期
17世紀頃に描かれた
「川越三芳野天神縁起絵巻」
の一部分

台尻を叩いて鉋の刃を
出しているのだろうか・・

刃物を研ぐときに
今の刀剣研ぎ師がやるように
押さえ木を右足で踏んで
砥石を固定している
砥石は青砥のように見える

鉋を押して削っている

彫物師の工房
弟子と思しき子供が
おおらかに遊んでいる

2023年2月3日金曜日

匠家必用記中巻 五章と六章読み下し

匠家必用記 中巻から
五章と六章の
読み下しを紹介
間違いなどありましたら
ご教示願います

五 皇孫尊高千穂の峯へ天下り給ふ事
大己貴命、国を皇孫尊へ授給ふこと上聞に達し、天照太神の御悦喜(よろこび)かぎりなし。ときに天照太神、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)語て曰、芦原の瑞穂国は吾孫の主たるべき国也。皇孫尊就(ゆき)て治(しらす)べし。宝祚(あまつひつぎ)の隆事(さかへんこと)はまさに天壊(あめつち)と窮なかるべしと、の給ひて、三種(みくさ)の神宝(かんだから)を授け給ふ。よって諸神付したがひ天の八重雲を威稜(いづ)の道別に道別(ちわけ)て、筑紫日向(ひうが)の高千穂の峯に天降り給ふ。それより方々と宮地を求給へども、とかく御心に合ざりしにや。ときにその国

神、事勝国勝長狭を召て問給ふは、宮を造るによき所りや。長狭の曰、よき宮地有。御心のままに御幸覧あるべしとて、導し吾田の長屋笠狭の崎にいたりたまふ「今此所を宮崎といふ、高千穂の峯を去ること二十里と或抄に見へたり」。則、長狭の教によって其地に宮殿を造営して住み給ふ。是より天業(あまのひつぎ)専さかんにして、天児屋根命、天太玉命を補佐の臣とし、誣(経)津命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命は征伐の権を掌り(つかさどり)、其外の諸神ともに官職をつとめ、皇孫尊(すべみまのみこと)を守り侍らしむ。是より地神四代、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、同五代、鸕鶿草葺不合(うがやふきあえず)尊も此御宮にましましき。

六 神武天皇大和国橿原に内裏を建立し給ふ事
人皇(にんおう)の始、神武天皇は鸕鶿草葺不合尊第四の御子也。日向(ひうが)国にましまして、天下を御(しろしめ)し給ふ。然るに近国はよく治れども、遠国におゐて動(ややもすれ)ば皇命にそむく者有。此故に東国征伐をおぼし召、立給ひて、皇舟(みふね)に召れ、日向国を出帆して筑紫の宇佐に至り給ふ「今豊後国宇佐也」。その地に宇佐津彦命、宇佐津姫命という人ありて一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造りて、天皇を待受、大に饗(みあえ)奉る「あしひとつあがりの宮はきさはし、高らんある宮也。是其始ならん。貝原氏曰、其ときの宮柱の穴とて呉橋(くれはし)川の川上の水際にありと」。是より吉備国高嶋に至り給ひ「今備前国高嶋なり」、行宮(かりみや)を建て、爰(ここ)に三年ましましぬ。是より又御舟に召て、難波に至り給ひ河内国をこへ、大和国にいたり給ふ。此時に不順(まつろわぬ)賊徒を悉く誅し給ひて、橿原といふ地に内裏を経営し給ふ「橿原の地は今葛上郡柏原村に旧跡ありと藻塩草に見へたり」。よって忌部の長天富命は手置帆負命(たおきほおいの命)の孫、彦狭知命の孫を率て下津磐根

に大宮柱ふとしく立、高天原に千木高しりて宮殿を造らしむ。又宮中に蔵を建て給ふ。これを斎蔵(いんぐら)と名く(なづく)。忌部氏をして永く其職に任し(よざし)給ふ「是蔵の始ならんか。前に云ごとく手置帆負命、彦挟知命は神代に始番匠の道を起し給ふに、大切あるゆへに神代に宮建立ありしときは、此二神に命じて造らしめ給ふ。此例によって神武天皇も二神の孫に命じて内裏を造らしめ、永く其職に任ざし給ふ。此故に代々の天皇も二神の裔(はつこ)を内裏の匠頭と定給ふ也。よっておもふに、民家にも是に倣て格式の普請には古法を失わず家造りに臨では、其主の先祖のとき造りし番匠の子孫を以て家宅を造ること是上古の遺風也。是のみならず、余のことも古例に合(かなふ)事まま多し」。又斎部の諸氏を率て種々(くさぐさ)の神宝、木綿、麻織布、盾矛をつくりて、天皇へ奉らしむ「忌部諸氏は天日鷲命孫、手置帆負命、彦狭知命孫、天目一箇命孫、櫛明玉命孫也。此とき天富命を首とし

て皆忌部氏の御一門なり」。手置帆負命の孫、矛竿を制(つくり)て献上し給ふなり「此矛竿を献じ給ふこと吉例と成て毎年矛竿を献じ給ひて大同年中迄も此例虚しからず。此とき手置帆負命孫わかれて讃岐国に居住あるゆへに讃岐の忌部と云。なを子孫はびこりて忌部氏多かるべし。矛竿は矛の柄なり。今の鑓の柄のたぐひなり」。又天日鷲命の孫は阿波の国へ下り、麻殻を植て天皇へ献上し給ひ、大嘗会(だいじょうえ)のときに当りては、其国より所々の産物をささげ奉りたまふ「天日鷲命の孫、阿波の国に居住して麻殻を殖給ふゆへに其郡を麻殖と名く。今其地に忌部氏の人多し。これを阿波の忌部といふ。みな天日鷲命の子孫なり。此ゆへに忌部の人々山さき村に社を建立してうやまひ奉る也。延喜式にも麻殖郡座忌部神社天日鷲命とあれば、由来久しき御社也」。又天富命、彼阿波の忌部をわかち、総(ふさ)の国へ遣(つかわ)され、麻殻を植させ世の重宝

となさしむ「総の国は後にわかれて両国となる。今の上総、下総、此也。此忌部居住有し地を安房(あわ)の郡と号(なづ)く。今の安房の国也。此国に忌部氏の人有と神書に見へたり」。天富命、その地に太玉命の神社(やしろ)を建立し給ふ。是を安房社と号く「今此神社を州崎の神社といふ。此御社こんりうの年より、今宝暦四年四年迄二千四百十四年にになる由来久しきことなり。太玉命は忌部の祖神なるによって御孫天富命社を建立して尊崇し給ふ也」。此外諸神の孫所々の物を造りて天皇へ捧給ふ也。凡(およそ)此ときより王業盛に行れ、三種の神宝を正殿に安置し給ひて、神国の貴きことを民にしろしめ給ひ中臣、忌部の二氏は神祇(しんき)を祖祀(まつる)の儀(よそほい)を掌(つかさど)りて天津罪国、国津罪を解除(はら)ひ、大伴氏、物部氏は朝敵退治の権を掌(たなごころ)にし、其外神代より伝ふる神々の子孫をして、それぞれの職に任(よざ)し給ふ。誠に神武天皇の神威四海にみちて、一人も敵する者なく永く太平の国となし給ひ皇統万々歳、天地と窮(きまわり)なき人皇の基本を起し給ふ。神功誰しもこれを仰貴ず(あおぎたっとみ)ずといふことなし。此橿原に内裏を建立し給ふ年より今宝暦四年迄二千四百年十四年になりぬ。


2022年12月30日金曜日

匠家必用記 二章 番匠の祖神基本を起給ふ事

 

匠家必用記 上巻 の二章
番匠の祖神基本を起給ふ事
の読み下しを紹介しておきます
間違いなどありましたら
ご指摘願います

忝(かたじけなく)も神国番匠の祖神其術(みち)の基本を起し給ふ。その本源尋るに天神七代に当りて伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)おのころ嶋に天降りましまし、天之瓊矛(あまのとほこ・ぬほこ)を以て国中の天柱(みはしら)とし、八尋の殿を化立給ふより此ことおこる。是神代天宮の始也。則此殿にましましてばんもつ(万物)を化生し給ふ。彼国中に御はしらを化立給ふ御神徳によって手置帆屓命(たをきぼらいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)に神始て番匠のみちの基本を起し、宮殿、屋宅及

諸のきざひを工出し給ひて、天下の至宝となる事挙げて、かぞへかたしかくのことごとの神功有によって、天照大神の上匠とし給ひて、きゅうでんをつくらしめ給ふ也。地神三代天津彦々火瓊瓊杵尊日向の高千穂のみねにあまくだり給いしときも此二神に命(みことのり)してきうでん(宮殿)を造らしむ。又出雲国杵築の大社御建立の始にも此二神を御工匠として宮殿並に船橋にも造りたもう也。是神代の事なれど何万年以前といふ事も計がたし。二神の御子孫次第に繁栄して神代の宮殿は皆此二神又御子孫の造り給ふ所也。人皇の始神武天皇大和国橿原に内裏を御造栄有し時に、二神の御孫を召て永く

其職にきざしたもう。此ゆへに代々の田姫をかいせんとす。素戔嗚尊これをきし給い、たちまちにいつくしみの御心を起し給ひて、其くるしみすくい給はんとほっし、大蛇をたいぢせんことをはかり給ふ。先あしなづちでなづちをして、毒酒を送らしめ大蛇にあたへたまへば、大気にゑいてねぶるそのとき素戔嗚尊たい(帯)し給ふ十握(とつか)の剣をぬひて大蛇をすだすだにきり給ふ。(此剣を天羽々斬のけんと云。又はおろちのあらませの剣と号く。今備前の国赤坂郡石上(いそのかみ)魂神社、又水ふる、又今大和のくに石上のかみやしろにまつるともいえり)。其尾に至りて剣の刃にしかけぬゆへを以て見給ふに、れいゐ成つるぎあり。あまのむら雲の御けんとなつく。神とうやまひ来るなり。又中比異コク(国)より

寺工来、てらしてるを送ることなど定て其人の姓も有べし。然れども日本のしんけいにあらざれば、論するにおよびばず。日本に生まれし人、十が九つかみのマゴナリ。かくのごとくの人はそれぞれの祖神を祭て常にうやまふべし。

印刷版に載せられている図


2022年12月14日水曜日

匠家必用記 鉇のルビ

以前紹介した「鉇」という字について

通常この字はヤリガンナと読みますが江戸時代後期の絵師鍬形蕙斎は職人絵の説明で台鉋を使っている大工のところで鉇としています。


それについて何かの間違いではないかと思っていましたが、江戸時代中頃宝暦五年(1755年)に出版された匠家必用記では鉇にカンナとルビが振ってあります。ということは鍬形蕙斎が台鉋のことを鉇としているのは間違っていなかったということになります。



因みに江戸時代中頃に出された和漢三才図会では鉋という字はツキガンナとし、ヤリガンナには鐁という字を当てています。

2022年12月7日水曜日

匠家必用記 中巻

江戸時代宝暦五年(1755年)に
出版された「匠家必用記」
shouka-hitsuyo-ki
上巻・中巻・下巻
から中巻を紹介しておきます
作者は美作国
mimasaka-no-kuni
津山(岡山県)の
立石定準(sadanori)
は手書きでしたが
これは印刷された版本です