2014年7月30日水曜日

徒然草 よき細工は少し鈍き刀を使うといふ・・

有名な徒然草の第二百二十九段(原文
「よき細工は、少し鈍き刀を使うといふ妙観が刀はいたく立たず」ということについて白洲正子氏は随筆「いまなぜ青山二郎なのか」(1991年単行本発刊)で「「鈍き刀」の意味を今まで私はその言葉どおりに受けとって、あまり切れすぎる刀では美しいものは造れないという風に解していた」と書き、続いて「ところがそれでは考えが浅いことをこの投書によって知らされたのである。その手紙の主がいうには、鈍刀といってもはじめから切れ味の悪い刀では話にならない。総じて刀というものはよく切れるに越したことはないのである。その鋭い刀を何十年も研いで研いで研ぎぬいて刃が極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃はじめてその真価が発揮される。兼好法師はそのことを「鈍き刀」と称したので、「妙観が刀はいたく立たず」といったのは切れなくなるまで使いこなした名刀の何ともいえず柔らかな吸いつくような手応えをいうのだと知った」と読者からの手紙の内容を紹介している。

これを読んだとき
私はそれはちょっと違うゾと
思ったので、そのことを出版社を通して著者に一筆したためた。
もちろん返事などは来なかったがその後20年以上経っている現在でもその時に書き送った内容は間違っていなかったと思っている。

加えて、ここ数年の
仕事で使っている刃物の入れ替えによる鉋や小刀など刃物についての様々な経験から、さらに深い確信を得ている。そのことを一口で言えば「焼入れと焼戻しの具合」ということになるでしょう。ですから「よき細工は少し鈍き刀を使うといふ」というのは細工(繊細な細かい木工作業)をするときの小刀は鋼が柔らかめ、つまり焼戻し温度が高いものを使ったと言えるのではないでしょうか。
そうした刃物の方が切れが軽くコントロール性も優れているのです。妙観はそのことを知っていたとも言えます。

「少し鈍き」というのは
焼戻しが多めになされている
つまり焼戻し温度が高かった
結果鋼は比較的柔らかく(鈍く)なっている。その方が小刀などは切れが軽く削り肌も滑らかなのです。そのことを「刃が甘い」とも表現しますが、この当然のことが刃物を実際に使ったり、より良い刃物を追求したことがない人にはなかなか理解できないでしょう。
それ故、白洲正子氏は「鈍き刀」を「あまり切れない刀」と理解してしまっています。

小刀の切れ具合については
これまでの経験では低い焼戻し温度(焼戻しが不十分=鋼が硬い)では切れが重く、焼戻し温度を上げると(鋼が比較的柔らかになる:甘めの刃)切れが軽く、削りのコントロール性も良くなりました。このことは徒然草の一節「よき細工は、少し鈍き刀を使うといふ」ということを証明していることになります。

ですから、白洲正子氏に助言をした意見「その鋭い刀を何十年も研いで研いで研ぎぬいて、刃が極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃、はじめてその真価が発揮される。兼好法師はそのことを「鈍き刀」と称した」というのは、これは考え過ぎで、何故真価が発揮されるのか、また、どのように真価が発揮されるのか説明もなされていません。文学的な魅力のある推察ではありますが「妙観」が優れた木工家、あるいは彫刻家であったならば、刃物の焼入れ・焼戻しについての知識も当然あっただろうと思われるのです。「妙観が刀はいたく立たず」という書き振りもそのことを強調しているのではないでしょうか。

付け加えておきますと、私など刃物処理の素人が焼戻しを行う際には温度管理をして慎重にやりますが(参照)、専門の鍛冶屋さんは焼入れを行った後すぐに火床の火にかざし、経験と勘で温度を見計らい焼戻しを行うというのが一般的のようです(参照)。
この動画では、水をかけて
焼戻し温度を見計らっています。この作業を見ると分かるように、火にかざして焼戻しをする際、刃物全体を均一に同じ温度にするのは不可能なので、焼戻し温度を一定に確保した油で焼戻しをすることも行われています。
参照:22分30秒あたり)

さて、徒然草が書かれたのは
鎌倉時代末ということになっていますが、この時代どのように焼戻しが行われていたのかは想像に難くありません。おそらく先に紹介した動画のように鍛冶職人が経験と勘で行っていたものと思われます。ということは、刃物全体を一挙に同じ温度にするのは、なかなか難しいことで、とくに繊細な作業に使う小刀や彫刻刀などは相手が小さいだけに、ちょっとした加減で刃先部分だけが高温になったりしやすいのです。これは私も経験がありますが、小刀を火で焙って全体を同じ温度にするのはほとんど不可能のように感じます。どうしても鋼が薄くなっている刃先部分が先に高温になります。ということは、焼戻しの場合高温になっている刃先の方が硬度は低くなりがちなのです。つまり刃先の方が元の部分よりも鋼は柔らかいとうことになります。それを、そうならないようにやるのが腕の良い鍛冶屋さんということになるのでしょうが、小刀など小さなものではほとんど不可能だと思われるのです。
ですから白洲正子氏が書いている「その鋭い刀を何十年も研いで研いで研ぎぬいて刃が極端に薄くなり、もはや用に立たなくなった頃はじめてその真価が発揮される」  というのが、小刀の元の方が焼きが多く戻っていて柔らかくなっている。ということを言いたいのだったら、それは間違っているのではないか
と私は白洲氏に書き送ったのです。

2014年7月27日日曜日

暑いときはココが一番・・


梅雨が明けてからの突然の猛暑
そんなとき、我が家のイヌは
ここを目指し
まっしぐら・・

いちおう朝の散歩です・・
泳いでいる動画はこちら

篠山川は高原盆地を
流れているので
上流でも流れは穏やか・・
この後、数十キロを経て
加古川に流れ込む

さてネコはというと
猛暑でも最近こんな遊びが
気に入っている
透明な袋を被せて
頭に何か乗せると
ご満悦の様子でジ~~っと
している


被りモノの趣味
ちょっとアブナイ傾向か・・

こちらは24日に
YouTubeにUPした動画の画像
兵庫県三木市にある
善祥寺の蓮の花
 善祥寺は400種類のハスが
植えられていることで有名

ハスの花の中で遊ぶバッタ
他の画像は後ほど紹介の予定

 善祥寺に行った帰りは
東条湖経由で・・
途中、休憩して何気なく
遠景を撮影したら

山の山頂近くにこんなものが・・
大きな岩だが、モアイ像か・・?
いや、これはカネゴン
ちゃいますか・・?


2014年7月21日月曜日

「肉を食べることができる」という恩恵を思う

「牛を屠るほふる」、今読んでいる本
こういった仕事をしている人たちに支えられて
私たちは美味しい肉を食べることができている
このことは決して忘れてはならないこと
人間のために身を捧げさせられている動物(植物)
に対して感謝の気持ちと行為(食べ物を粗末にしないなど)は
いつも心しておかなければ、と自戒した


解体された牛はすべて無駄にしない
それが牛に対するせめてもの供養では・・
皮は革となされ、人間の役に立てられている
そこには、人間の複雑で深い技と経験が織り込まれている・・


以下は先日紹介した「怪物伝」から
牛刀を鍛える名人の話












2014年7月19日土曜日

オブジェもいろいろありまんねん・・

久しぶりに端材のオブジェを作りました
素材は紅カリンとカーリーメープル、そしてエボニー(本黒檀)


石のピラミッド置きとして作ったもの


日替わりでこういった石も置くかも・・


以下はいつものヤツ・・









これもオブジェと言えばオブジェ・・
私はアンパンマンの顔が怖い
それを知っている家人が
これから食べようと
柔らかくなるのを待っている間に
こんなことをしでかしてくれた・・
コワイ・・







これはちゃんとした仕事
製作中の19世紀ギター
特注Laprevotteラプレヴォット・タイプ
裏板を接着しているところ





2014年7月16日水曜日

義廣銘鉋を入手 削り比べ

新潟与板の刃物鍛冶職人である
中野武夫(武則)氏が義廣銘の鉋を鍛えておられる
ということを知った
以前手に入れた義廣銘・寸四が
特殊鋼が使われているということに
引っ掛かっていたのだが
中野氏の義廣銘には安来鋼・青紙が使われている
ということなので、もしかして手許の寸四・義廣は
中野氏一族のどなたかが鍛えたものではないかと
思った次第であります・・

後日、義廣銘寸四は新潟与板の
小熊寅三郎氏が鍛えたものということが判明しました

ということなので中野氏の義廣鉋(身幅48mmの小鉋)を
手に入れてみました


青紙付と刻印されています

こちらは以前手に入れていた特殊鋼の義廣銘・寸四
銘の刻印と紋は上の中野氏のものとは違いますが
刻印などはどうにでもなるものなので
あまり問題ではないでしょう・・

中野氏の義廣小鉋を研ぎ上げてみました

鋼の研ぎ感はそれほど強靭さはありませんが
程よい感じの粘りを感じました
裏出しも容易に出来たのでそれほどガチガチの
焼入れではないのでしょう
地鉄も美しいもので心地よく研ぐことが出来ました

せっかくなので、義廣・寸四と
特殊鋼の古い初弘(おそらく二代目)で
削り比べをやってみました


左から、中野氏作・義廣、義廣・寸四、初弘・寸六


中野氏作・義廣(身幅48mmの小鉋)
粘りが強く深い杢のMapleメープル材を削ると
鋼の違いがよく分かるのですが
この鉋は青紙鋼らしく、やや重い切れで
削る音が鈍い感じが動画でも分かります

動画撮影後の刃先の状態
これくらいの削りでは刃先はほとんど変化はありません
刃角度は約28度

これは義廣・寸六(特殊鋼)
削った台の大きさや刃の幅が違うので
比較は難しいところですが、手応えや削る音は
上の中野氏作・義廣と同様のものがあります

動画撮影後の刃先の状態
こちらもほとんど変化はありません
この鉋はこれまで他の鉋と何度か削り比べをやっていますが
刃先はかなり強靭で永切れします
刃角度は約28度

これは古い初弘鉋(参照下さい
鋼は昔の青紙と思われます
上の2丁と比べると削りはかなり軽く
削った音もかなり違います

これも刃先はほとんど変化はありません

動画撮影後
製作中の楽器の部材をいろいろと削りました



その後の刃先の状態
これは中野氏作・義廣小鉋
やや刃先が磨耗しています

義廣・寸四
これもほぼ同様の磨耗の仕方です

初弘・寸六
こちらも上の2丁と同様の感じです

その後、中野氏作・小鉋と義廣・寸六を
ほぼ同様の刃の出し方と削り量で
仕事で使ってみました

かなりの量を削りました

その後の刃先の状態
中野氏作・小鉋はかなり刃先が磨耗していますが
まだ切れは止んでいません

こちらは義廣・寸六
上の小鉋に比べるとやや磨耗は少ない感じですが
ほぼ同様の磨耗の仕方が確認できます
こちらもまだ切れは止んでいません

こうしてみると、中野武夫(武則)氏の鉋は
かなり優秀だと言えます
氏は問屋銘の鉋を多く鍛えられているようですが
氏が佐野勝二氏の後を継いで「兵部ひょうぶ」銘の
鉋を鍛えたりしているのは
この優秀さ故からかも、と想像されます
ですから、この特殊鋼の義廣・寸四も
中野一族のどなたかが鍛えた可能性もあるのかもしれません・・

後日、義廣銘寸四は新潟与板の
小熊寅三郎氏が鍛えたものということが判明しました