2012年11月30日金曜日

桂川地蔵記の影印本を入手


桂川地蔵記の影印本を手に入れました
これは今年の5月に八木書店から
出版されたものですが
室町時代中頃、応永年間に
京都桂川沿いにある地蔵が奇瑞を起こし
それが発端で始まったとされる
桂川地蔵信仰の様子を見聞風に記しながら
当時の事物を書き並べたものです
これは当時の武家の教養書として
出回っていたようで
八木書店から出された影印本は
室町時代末、弘治四年(永禄元年・1558年)
書き写されたものが底本とされています

その一部を紹介しますが
この部分は当時使われていた楽器が
記されているところです
楽器の名を書き出してみますと
蜀郡ショクキンの鶴瑟カクシツ、秦シンロウの鳳管、
ショウ、笛チャク、琴キン、箜篌クゴ
琵琶、鐃ニョウ、胴鈸ドウバチ
小鼓、大鼓、編木ササラ
以上ですが、知らない楽器が多いですね・・
蜀郡の鶴瑟や秦楼の鳳管などは
中国伝来の楽器と思われますが
判然としません・・

これは正倉院に所蔵されている断片を基に
復元された箜篌クゴです(写真の奏者は摩寿意英子さん)
この楽器が室町時代にも
存在していたのでしょうか・・
興味が湧くところであります

それから、この部分は当時の
刀鍛冶の銘が挙げられているところです
紹介しますと
以往イニシエの鍛冶、天国アマクニ
神息カンヌキ、藤戸フヂト菊作キクヅクリ
粟田口(京都)には藤林トウリン、藤次トウジ
林次リンジ、林三リンゾウ、国綱、国吉、
三条(京都)小鍛冶宗近ムネチカ、来国俊、国光、
法師鍛冶には定秀ジョウシュウ、雲秀、了戒リョウカイ
備前の国(岡山県東部)に長光、景光カゲミツ
三郎国宗、五郎守家、長船オサフネの一党
備中ビッチュウの国(岡山県西部)貞次、盛継モリツグ、葵作り
伯耆ホウキの国(鳥取県西部)真綱サネツナ
筑紫(福岡県)には三家ミケの田多デンタ
鬼神大夫キシンタイフ行平ユキ ヒラ、波平ナミノヒラ
谷山、石貫イシヌキ、金剛兵衛コンゴウビョウエ
奥州(陸奥ムツ国・本州北東部)には舞房マイフサ光長、
鎌倉には新籐五、彦四朗、五郎入道、九郎次郎、
南都(奈良県)には千手院センジュイン、文殊モンジュ四朗、
一文字、中次郎、尻懸シッカケ、当麻タイマ作り
当世(室町時代中頃)の作者、信国、国重、達磨、藤島
その他、出雲鍛冶、後鳥羽院十二月番鍛冶など

ここに挙げられている刀工銘にも
今の刀剣解説書などに
登場しない銘が多くあります

備中国の盛継は守次、葵作りは青江作りと
解説されています
筑紫国は紹介されている刀工銘から
九州全般として紹介されているようです
そのなかの三家田多は
現在一般的に呼ばれている
三池典世太光のことと思われます

鎌倉の五朗入道は日本刀の
代名詞とも言える正宗のことです

奥州の舞房は舞草モクサ鍛冶
のことと思われますが
刀剣研究家の佐藤矩康氏が
指摘していられるように(参照
舞草鍛冶は日本刀のルーツと思われ
古墳などから出土する
蕨手(ワラビテ)刀も
作刀していたようです

参考までに、これは埼玉県の
将軍山古墳から出土している大刀です
(同じ刀身の裏表の画像、切先部と
物打部を合成したものです)
時代は6世紀前半とされていますので
古墳時代後期ということになります
刃の部分が叢雲ムラクモのように見えます
日本古来からの三種の神器の一つに
天叢雲剣がありますが
その名の由来は、もしかして
このような刃中の景色が
叢雲のように見えたため
かもしれません

この短刀は現代の刀工、天田昭次氏作
鎌倉時代の名刀に匹敵する出来です

2012年11月29日木曜日

晩秋の丹波篠山


今朝の丹波篠山
動画をUPしました


工房近くの黒大豆畑
正月用の黒豆として出荷される前に
このように天日干しされます
あいにくここ数日天気が悪く
今日も朝から曇りでした
奥の木に止まっている二羽の鳥はトンビ



畑によって干し方が様々で興味深い・・







工房に戻る途中
葉が落ちた枝にムクドリが群れていたが
カメラを向けると一斉に飛び去ってしまった
勇気があるのか鈍感なのか
残ったのはこの二羽だけ・・


2012年11月25日日曜日

ニス塗りにかかる


製作中の3台のギターの
ニス塗りにかかりました









今日は、広島では
マリア味記子さんと手回しオルゴールの
ペピート千秋さんのコラボ演奏会が行われ
無事に終わったとの連絡が入りました


2012年11月23日金曜日

西脇市黒田庄

昨日22日はマリア味記子さんのギター伴奏のため
篠山の西隣りに位置する西脇市黒田庄に足を運びました

趣味で作詞・作曲をなさる遠藤さんとは
これまで何回か顔を合わせましたが
今回初演の「どんぐりどん音頭」は傑作でありました
上の写真はその曲を披露しているところ
遠藤さん作詞・マリア味記子さん作曲の「サヨナラ サヨナラ」は
練習風景をYouTubeに抜粋でUPしております

西脇市黒田庄は篠山川が加古川に合流して
間もない所にあります(地図参照
加古川沿いの西脇市については
以前のブログ「古代の製鉄」で何度か紹介しましたが
弥生時代前後の遺跡には鉄や青銅などの
金属に関するものが多く見られ
現在でもそれに因んだ神社や地名が見られます
インド由来の手焙り形土器出土していることも見逃せません
上の写真は金属加工と関係が深い兵主神社

一般的に説明はされていませんが
兵主神社は蚩尤と関係が深いとする研究者もいます
リンクしたウィキペディアの説明で
蚩尤は人の身体に牛の頭と蹄を持っているとありますが

黒田庄の兵主神社の境内に牛の像が置かれているのは
暗示的ではありませんか・・・
牛の頭といえば古事記・日本書紀に登場するスサノオは
別名・牛頭天王ともいいます
これも暗示的ですね・・・(参照
それから滋賀県野洲町にある兵主大社・・
野洲町といえば銅鐸が大量に出土しているところでもあります
はたまたこれも暗示的で・・(参照:11段目)



マリア味記子さんが講演を行った会場からの眺め

午後3時頃、紅葉に染まった山から半月が出ていました

2012年11月21日水曜日

佐伯砥と奥ノ門産仕上砥で自作小刀を研ぐ

今ではほとんど入手困難な
京都丹波産・佐伯(さえき)砥を手に入れました
研ぎ動画参照ください

古事類苑では(参照
丹波に産する佐伯砥は荒めの砥石である
同じく丹波の猪倉からも
佐伯砥と称される砥石が掘られている
と説明されていますので
産地がいくつかあったものと思われます

佐伯砥独特の
黒いゴマ状の斑点が顕著に確認できます

やや硬めですがよく反応し
たいへん研ぎやすい中砥です
粒度は約#800といった感じですが
研ぎ傷が浅いので後の研ぎが楽に行えます

佐伯砥の産地と同じ地域である
丹波亀岡産の青砥に比べると
傷はやや粗いですが
青砥よりは均一な傷です
研いでいる小刀は自作のもので(参照
(はがね)は安来鋼(やすぎはがね)・白紙2号


動画で次に使っているのは
産地不明の中砥で、粒度はおよそ#1200

やや硬めで反応がやや鈍い感じです

その分、研ぎ上がりは緻密です


そして、仕上げ研ぎの中継ぎとして
奥ノ門産の仕上砥を使いました

ほどよい硬さで、よく反応し
強い研磨力があります


地・刃ともに微塵に美しく曇ります


最後に使っているのは
京都梅ヶ畑・中世中山産の仕上砥
鮮血のような赤い模様が入っています

硬めの石質ですが
カチカチの鏡面仕上砥ではなく
ほど良い研ぎ感で鋼は鏡面に仕上がります



2012年11月20日火曜日

新作オブジェ



製作中のトーレス・タイプのブリッジに使った
インレイの切れ端と黒檀を使ったオブジェを作ってみました



2012年11月17日土曜日

ブリッジの加工と接着

製作中のギター3台の
ブリッジを今日接着しました
以下はこれまでの過程

Laprevotteラプレヴォット・タイプのブリッジ
上の画像の小刀はどれもハイス鋼(HSS)で
刃角度は30度~32度ほど


これは加工途中の
Torresトーレス・タイプのブリッジ
弦を結ぶスペースのデザインを 
どのようにしようか、いろいろ思案しましたが


結局このように仕上げてみました







そして膠ニカワで接着

これで

ヘッド

サウンドホール縁飾り

ブリッジの貝のインレイが揃いました
インレイの下描きはこちらを参照ください


ついでに修復中の古い楽器の
縁飾りのインレイを3個切り出しました


これはラプレヴォット・タイプの
ブリッジ接着の様子
圧着はできるだけ弱い力で済むように
接着面の加工は慎重に行います


2012年11月15日木曜日

幻の砥石・浄教寺砥を使った研ぎ動画の画像


12日に紹介した幻の砥石・浄教寺砥
使った研ぎの画像をUPしておきます
これは動画で最初に使っている
福島県産の会津荒砥
粒度は約#400
やや硬めで、ほど良い研ぎ感
たいへん使い易い砥石です

研いでいる鉋身は
11日の鉋仕立てのレクチャーで
裏出しをし、後日こちらで裏押ししたもの
この鉋刃はギター製作用として
研ぎ上げていきました


次に荒目の伊予砥
粒度は約#600
これはやや柔らかめですが
その分よく下り、研ぎやすい中砥です


そして、幻の浄教寺(じょうけんじ)
常見寺とも表記されます
江戸時代の砥石に関する文献では
ほとんど常慶寺と書かれています
たとえば、江戸時代の初めに書かれた雍州府志では
「越前えちぜん(福井県)に常慶寺砥というものがあり、
これは俗に「じょうけんじど」と呼ばれている」
と説明されています(参照





こちらは同じく浄教寺赤砥
これも福井県に産しますが
現在では掘られておらず
大正時代頃まで掘られていたようです
粒度は赤砥の方がやや粗い感じで
傷も深いような気がします
研ぎ感も赤砥の方が力があります

後に新たに手に入れた浄教寺砥



そして三河名倉砥、層はアツと思われます
強い研磨力があり
浄教寺砥の傷が僅かの時間で消えました
日本刀の研ぎでは
浄教寺砥の後は改正名倉をかけますが
一般的な刃物でしたら、その必要はありません



仕上げ研ぎは
中継ぎとして奥殿産巣板



そして最後の鏡面仕上げは
仕上砥石の名門
京都梅ヶ畑産の中世中山砥です
これはそこそこ硬い石質ですが
反応が良いので心地よく研ぐことができます
これはさゞれ銘砥からお世話になりました