2012年1月15日日曜日

魚の装飾紋及び双魚紋について その1

ここ丹波篠山に出雲神社があることについて調べていたら、魚の装飾紋についてちょっと分かったことがあるので、忘れないうちにそのことを述べておこうと思います。このことは昨年6月のブログでも少し述べましたが、正倉院に収蔵されている魚形の腰飾りは聖武天皇の遺品とされています。このことから、魚紋は新羅や百済系民族の象徴なのかと思っていたのですが、インドにもよく似た魚紋があるということに戸惑ってしまったのです。それで昨年6月のブログでは「朝鮮半島の新羅からやってきたとされる民族が、インドの習俗を持っているということになれば、話はややこしくなってきます。」と結んでいたのです。
今回、出雲神社についてもう少し詳しく調べたいと思い、古代の東アジアの情勢について書かれた本を数冊新たに手に入れたのですが、その内、薬師寺の仏像様式から、白村江の戦いの後、日本は完全に唐・新羅連合軍に占領されたとしか考えられないとする鈴木治氏の著書「白村江」からは多くの示唆を得ることができたのです。それから、故・鹿島曻氏と同業(弁護士)で、氏から鹿島古代史説の薫陶を得、さらにそれを進めた内容の藤井輝久氏の「天皇系図の分析について・古代の東アジア」からは多くの収穫があり、ありがたいことに、先に述べた魚紋についても多くの紙面が割かれていたのです。(魚の装飾紋及び双魚紋について その2はこちら


薬師寺金堂に安置されている
薬師如来座像の足の裏(仏足)に見られる双魚紋

2 件のコメント:

源信正 さんのコメント...

http://www2.otani.ac.jp/~gikan/4_1situ3_1.html

双魚紋について考察されたものを見つけました。
魚は獲っても次々に出てくる生き物の代表として、子孫繁栄を願い、古くはエジプトから世界中で描かれているんですね・

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

そうですね。
源は鉄と同じシュメールにあるようです。